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スレッド一覧

  1. 連句の空間(2)
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冬の気配

 投稿者:  投稿日:2011年11月24日(木)01時43分35秒
  先週くらいまでは、寒いと言うほどではなかった。
この一両日、コートが欲しくなる。
もう今年の終わりも近い。
 
 

同期会

 投稿者:  投稿日:2011年 5月12日(木)00時09分13秒
  学生時代の合唱団同期会が新橋で。
あいにくの雨だったが、急病の人など二人を除き、20人ほどが集まった。
もうみんな声が出なくなって、歌はいまいちだったが、互いの近況など披露し合い、楽しく散会。
話題の中で目立ったのは、健康のこと、震災のこと。
 

更新休んでます

 投稿者:  投稿日:2010年12月26日(日)13時04分19秒
  IT生活に入って10年経ちましたが、ホームページ、ブログ、SNS、ツイッターと、コンテンツが増えてしまいました。
そろそろ捨てるもの、残すものと、分別しなければならないのですが、ログを取って、消すだけでも、結構な作業です。
人生の時間の満期に達した私。
年が明けたら、本格的に始めなければ・・・。
いっそ、パソコンごとすっかり消えて無くなれば良いんですけどね。
 

独吟

 投稿者:hanada  投稿日:2010年 4月11日(日)10時00分53秒
  新春歌仙「いくたびの」 独吟
     2010年1月5日起首

いくたびの寅の巡りや今朝の春   新年  自
 俎始リズムかろやか       新年  場
予定表居間と厨と玄関に          場
 頃合いを見てお茶と羊羹         他
校了の博士論文丸き月       仲秋  自
 野菊一本卓上に活け       仲秋  自

ウラ
うり坊が散歩したいとせがみ来て  晩秋  場
 つやつやとした背なを撫でやり      自他
思いとは惚れてなくても言うことば     他
 男も投げる下駄の片方          他
 

この掲示板

 投稿者:メール  投稿日:2010年 3月29日(月)13時23分33秒
  私の一人語りだが、閲覧パスワード、外すことにした。
記事のうち、あまりに自分のプライバシーを晒すようなことは、非公開にした。
有名人以外は、他人のことは書かないことにしているが、一つの事例として、書くことはある。
でも、どこの誰かわからない書き方にしているし、団体名、特定の場所などは、ぼかしてある。
それでも、過去に、「これは自分のことだ」と信じて疑わない人から、「あのサイトの運営者は、この人です」みたいに、実名を暴いて、非難中傷されたことがあり、思い違いもいいところだが、こういう人も読むのだと思うと、一時は、インターネットがいやになった。
世の中に良くあるようなことを書いたからといって、それを自分のことだと思いこむ人は、よほど自意識が強いのだろうが、映画を見ても、そこに出てくる登場人物は、自分だと思うのだろう。
もし、何か意見なり、質問なり有れば、直接私宛に、私宛にメールでもよこせばいいのだ。
そのために、フォームメールも入れてある。
それをせず、こちらの見えない場所で、一方的なうわさ話のように、私の実名を明かし、元になった文章の一部を改竄して、中傷の材料にするなんて、とんでもない話だが、10年ネットで発信している中で、それがたった一つの例。
つまらない記事なのに、読んでくれる人には、感謝している。
しばらく閲覧パスワードを外した状態で更新していく。
 

花見の季節

 投稿者:メール  投稿日:2010年 3月27日(土)13時46分8秒
  家から大通りに出て、少し行ったところに、バス停がある。
傍に大きな桜の木があり、この時期、高い木の枝が、バス停全体を覆って、桜が満開の時は、すばらしい風景となる。
バス停を通り過ぎたところにスーパーがあり、花の時期は、その道を通るのが楽しい。
昨日も、行きがけに、桜を仰いで、三分咲きくらいの花を、しげしげとながめていた人がいた。
「もう少しですね」なんて、思わず話しかけてしまった。
「咲くかと思ったら、この寒さで、引っ込んじゃいましたね」とその人も、応える。
花が取り持つ人の会話。
今日、亭主は川崎当たりに、花見に出かけた。
私もいつも行くグループだが、最近、地面に茣蓙を敷いて、座っての花見というスタイルは、段々きつくなった。
他の人に気を遣わせてもいけないから、欠席した。
 

夜来風雨の声

 投稿者:メール  投稿日:2010年 3月21日(日)01時44分7秒
  夜半起きているが、かなりの風である。
隣の家のバケツが転がる音。
春一番と言うには、強すぎる風だが、「黄砂」という説もあり、生半可ではない。
朝起きて、ベランダには砂埃が溜まっているかも知れぬ。
プラシド・ドミンゴのオペラを衛星放送で見ていて、つい夜更かししてしまった。
最近、早寝早起きに切り替えつつあるのに、こんな事では・・・。
ブログの更新や、ネットサーフィンや、閲覧者のアクセス解析などやっていると、すぐに時間が経つ。
さあ、電源を落とそう。
 

梅香る

 投稿者:メール  投稿日:2010年 3月10日(水)13時35分16秒
  春というのは、どうも好きじゃありません。
花粉症かって?
いえ、私は幸いそれには縁がなくて・・。
ああ、あなたの場合は、まずそれなんですね。
咳とクシャミですか。
泪目?
それは鬱しいでしょうね。

私の場合は、この時期、思い出さなくていいことが、あれこれ蘇ってきて・・。
人と別れるのは何故かこの時期。
梅の香りがしてくるともういけません。
自然に胸がじわっとして、まぶたが潤んでくるんです。

そう、もう2年前になります。
好きな人がいたんです。
向こうがどう思っていたかは知りません。
私はいつもそうなんです。
相手の気持ちはどうでも良くて・・・いえ、どうでもいいっていうのは、違いますね。
自分に自信がないから、そんな言い訳をしてるんですが・・。

とにかく、好きな人がいたんです。
寡黙な人で、誰とでも、親しく話をするタイプではありませんけど、たまに発する言葉が、心に響いてくる。
みんなでガヤガヤ勝手なことを言っているときに、黙って聴いていて、会話が途切れたときに、ぽつんと一言いうんです。
それが、妙に当を得ているんです。
さんざんみんなでたたかわした議論がどこかに行ってしまって、その人のひとことで、決まってしまうということが、よくありました。

始めは気取ってるなとか、格好を付けてるなと思いました。
でも、その人は、そんなつもりはないんです。
「話が速すぎてついていけないよ」と言いました。
何か言おうとすると、すぐに話が違う方に発展してしまう、考えている間に、どんどん先へ行ってしまうから、口を差し挟む間がないんだとも言いました。
そして、結論が出る頃に、やっと話の全体が見えてきて、自分の考えもまとまり、そこで出した意見が、何故か、採用されてしまう結果になるだけなんだと、苦笑してました。
やっぱり、ものすごく頭がいいのだとわかりました。
私は、利口な人は好きではありませんが、本当の意味で頭のいい人、賢い人は、男女に限らず、とても惹かれてしまいます。
自分にないものだからでしょう。

そんなことがあって、だんだん私はその人が好きになりました。
二人きりになる機会はないので、ある時、手紙を書きました。
教えて欲しいことがあって、でも、それは口実でしたけど、出したんです。
今どき、電話もメールもある時代に、手紙なんて、古いって?
アラ、私の時代は、それが当たり前です。
返事は、期待していませんでした。
もちろん、質問したいことの他には、何も、書いていません。
すぐに返事が来ました。
質問に対する答が書いてあって、「また私で応えられそうなことだったらいつでもどうぞ」と結んでありました。

嬉しかったですね。
あとで思うと、そんな何でもない手紙だから、向こうは、すぐに返事も書けたのだし、そんな一言も書けたのでした。
それを、特別に感じてしまった私が、いけなかったんですね。
考えてみると、決して派手なことのない、でも、人には細かな気遣いする人だから、その人に惹かれる人は、ほかにもいたんです。
偶然の事実から、それがわかりました。
その人には、罪はないのです。
親切に、私の手紙に返事を出していただけ・・。

でも、それがわかって、私は、その人から離れることにしました。
その人を含む集まりに、行かなくなりました。
「どうしたんですか。最近、ちっとも顔を見せませんね」という葉書が来たのは、ちょうど梅が咲き始めるころ。
私が行かなくなって、2ヶ月ほど経っていました。
どんな返事を書くべきか・・。
黙ってそのままにしていれば、それきりのこと。
そして、またそしらぬ顔で、出かけていけば、何もなかったことで済んでしまいます。
「久しぶりだね」と、笑顔で迎えてくれて、以前と同じように、交流が続くでしょう。

でも、私はそうしませんでした。
妙に正直というのか、不器用だというのか、アラ、そうね、なんて簡単に頷かないでください。
その人に「お会いするのがつらいから、もう行きません」と返事を書きました。
それで、その人は、やっと私の気持ちに気づいたようです。
いえ、もしかしたら、前からわかっていて、やり過ごしていただけかも知れません。
「そんなこと、言わないほうが良かったのに。残念です」と返事が来ました。

ええ、それだけです。
その人としては、そう言う他はなかったんでしょう。
口に出してしまったら終わりです。
ああ、見ている間に、また一輪咲きましたね。
夕べ、ひどい風だったから、心配してましたが、案外と強いんですね。
紅梅の香り。
まだしばらく愉しめそうです。
お寄り下さって、有り難うございます。
嬉しかったので、つい、余計なこと、話してしまって・・。
いえ、あなたはご存じない人のことですから・・。
あ、コーヒーが出来たようです。
ちょっとお待ちになって・・。
(「幕間のセリフ-2004-02-24-」より転載)
 

タルコフスキイを見に(2)

 投稿者:メール  投稿日:2010年 3月 7日(日)22時41分34秒
編集済
  雨の中渋谷のイメージ・フォーラムへ。
午後3時からアンドレイ・タルコフスキイの映画作品「アンドレイ・ルブリョフ」を見る。
15世紀初頭のロシアの画家ルブリョフの壮年期23年間を、当時の時代背景と共に描いている。
モノクロ映画だが、最後に、ルブリョフのイコン画が、美しいカラーで、画面に流れる。
為政者によって、蹂躙され、貧しい生活を余儀なくさせられる民衆の姿は、帝政時代の近代ロシアにも、スターリン時代の恐怖政治下にもあったであろう。
ひとりの芸術家を追いながら、タルコフスキイの描いているのは、むしろソビエト時代のロシアであるように見える。
この映画で、タルコフスキイは、5年間、映画制作を禁じられた。
1967年の作品。

タルコフスキイ映画祭は12日で終わるが、2年前に見て、忘れられない作品となった「サクリファイス」はもう一度みたいと思う。
1986年、タルコフスキイ最後の映画。この年12月、54歳で亡くなった。
バッハの「マタイ受難曲」の中のアリアが映画の冒頭と、ラストシーンに流れる。
ユリア・ハマリのアルトソロとヴァイオリンがすばらしい。

http://www.youtube.com/watch?v=aPAiH9XhTHc
 

思い起こした記憶

 投稿者:メール  投稿日:2010年 3月 6日(土)09時27分5秒
  今週3日に、別の耳鼻咽喉科に行き、声帯を診て貰う。
「結節はありませんよ」と言われ、ホッとしたが、貰った薬の中に、ステロイド剤「プレドニン」が含まれている。
25年前、大病して、80日間の入院をしたが、引き金になったのが、突発性難聴の治療薬として処方されたステロイド剤。
そのときの医者と薬局の指示が適切を欠いたため、2週間掛かって飲むべき薬を3日で飲んでしまうと言う誤飲をした。
わかったのは、次ぎに行った時。
「ええ?何ともない?」と言われて始めて、自分が重大な間違いをしたことに気付いた。
然し、難聴が劇的に恢復したことで、それ以上追求せずに納めてしまった。
然し、これは実は大変こわいことで、その後の人生を変えるほどの体験に繋がったのは、5ヶ月ほど経ってからだった。
医療の過ちと、自分の無知。
私が、医療不信になり、医者という人種を原則疑って掛かるようになったのは、その苦い経験から来ている。
ステロイド剤なんて、うかつに飲んではいけない。
劇的に効く代わり、飲み方を間違えると、ひどいことになる。
しかし、医療現場で、果たして、きちんと説明され、患者が理解して飲んでいるかどうかは、疑わしい。
自分の体は自分で守るべきである。
私は、貰った薬のうち、ステロイド剤を飲むのは控えて、翌日医者に質問状をファックスで送った。
25年以上も前のことではあるが、ステロイド剤で、数々の副作用があり、今でも、影響が残っていることを言い、それでも、貰ったステロイドは、服用した方がいいのかどうかを尋ねたのである。
勿論、入院中に飲んだ量や、状況とは、全く違い、今回の量は、問題にならないほどの少量であることは、インターネットの検索で調べて、わかった上での質問である。
声帯に結節はなくても、何か引っかかりがあるのは確かで、声が滑らかに出ないことを前から感じていたので、診察に行ったわけだが、対症療法として、6日間分貰ったステロイド剤。
多分、炎症を抑え、声に効くのであろう。
だから、私の質問を踏まえた上で、医者が、「飲んだ方がいいですよ」と言えば、従うつもりである。
診療現場では、説明に時間が掛かり、記憶も不正確になりがちなので、文書にし、あらかじめ、送った上で、電話した。
午後の診療時間内で、患者が多く、込んでいて、今は、応対できませんが、先生はファックスを読んでおり、直接電話すると言ってます、それまで待って下さいと、応対に出た女性に言われ、昨日午後、ずっと待っていたが、まだ、返事はない。
それまで、ステロイド剤は飲まず、ペンディングにしてある。
そのファックスを送るにあたり、昔の記録を探した。
まだワープロが一般的でなかった時代。
大学ノート3冊に、びっしり書いた記録。
入院中の物であるが、よくこれだけ記録したものだと、我ながら驚く。
40代半ばを過ぎた頃。
まだ、充分脳が働いていた頃。
ほかにすることがなかった病室での生活。
家には浪人中の息子と、仕事に忙しい夫が、私の居ない家で、男二人の不自由な日常を送っていた。
 

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